11/09/2015

文化遺産の保護について/ サルラ、ペリゴール地方No.1


Escapade en Périgord, Sarlat-la-Canéda et le sauvegarde de patrimoine historique

″フランスで最も美しい町″ のラベルを持つ町や村が山ほど集まり、フォアグラやワインなどグルメでも有名なフランス南西部、ペリゴール地方に先日行ってきました。
サルラ(正しくはサルラ・ラ・カネダ)の始まりは紀元700年代くらいで、当時の交通と守備の要地だったので、ヴァイキングの襲来、100年戦争(1回もイギリスに占領されなかった!)、宗教戦争では隣のライバル、プロテスタントの町ベルジュラックと何度も籠城戦を繰り返すなど戦争が絶えなかったのですが、戦いの合間に商業が発展し、力と富を得たブルジョワ達が貴族の称号を与えられ、競って美しい館を建てたのだそうです。しかしその後政治の中心がパリに移り、この地方は次第に取り残されてしまいます。

近代化、工業化に乗り遅れ、眠り姫のように17-19世紀を眠って過ごしたこの地方は、そのため幸運にも、中世やルネッサンスの建物が町ごとそっくりそのまま残りました。
そこに登場したのがアンドレ・マルロー。安藤忠雄さんがインタビューの中で語っていたドゴール政府時代の文化相で、作家としても有名。けれどそれらのインテリ的イメージとは異なる、アヴァンチュリエ(冒険者)でもある。学校をドロップアウトして独学で作家活動を続けながら、スペイン内戦や対ナチのレジスタンスで戦い、後に文化相に就任。私のフランスのいい男ベストテンに入ってる人です。新しい物が良しとされ、世界中が近代化の名の元に古い物を壊していった60年代に、この人は後にマルロー法と呼ばれる、歴史的美的に価値があると判断された建物の保護法を1962年に立法化します。その恩恵を初めに受けたのがサルラ。

    
    
    
     

サルラはマルロー法のモデル都市として撤退的に修復されます。修復といっても手っ取り早い安物の工事ではありません。25年もかけて、電線は全て地下に埋められ、中世の不潔な澱がこびりついた壁や路地は砂で磨かれ、その地方の伝統的な古い瓦を使い、昔通りの石工技術で修理したのです。だからサルラは、ニセ物や作り物の匂いがありません。以後このマルロー法の恩恵を受け、フランスの沢山の歴史的建造物が保存修復され現代に伝わっているのです。
美しいのでイギリス人がセカンドハウスを買いあさり、ペリゴール地方はイギリスの植民地になってしまったとフランス人が冗談を言うくらい、イギリス系の不動産屋が沢山あり、あちこちから英語が聞こえてきます。なにしろ100年戦争の頃から、イギリス人はここを狙っていたのですから・・
中世らしさを満喫するなら、観光客の少ない早春か晩秋がお勧め。
 
パリについてはちょっと特別で、ローマ時代の遺跡や、ノートルダム寺院などゴシックの教会や貴族の館など古いものも沢山ありますが、アパートやオフィスなど民間の建物は、1850-70年にオスマンが新しい都市計画に基づいて建て直したものが多く、そのため比較的新しいのです。迷路の様に入り組み、汚物で汚れていた中世のままの細い路地を取り除き、デモ好きのパリ市民がバリケードを作りにくい放射線の大道りを作りました。それでパリは美しく、近代都市として発展できましたが、中世の民間建築は殆ど破壊されました。そのパリでもやはりマルロー法のお陰で、一番古い地区の1つであるマレが美しく蘇えりました。町工場やガレージ、倉庫として荒れ放題の元貴族の館などが国の援助で美しくなり、持ち主たちは地価が上がって大儲けしたという問題もあったようです。今マレはパリで最も美しくてファッショナブルな人気スポット、サルラも観光客が押し寄せ、マルロー氏が生きていたらびっくりしそう・・でもどちらも壊されずに、昔のままで後世に受け継がれるのは確実です。
尚マルロー法は現在も生きています。

追加:  帰りのTGVの中で読んでいた雑誌(フランスの)に、″やっぱり壊される東京のホテル・オークラ″ 内外の沢山の反対を押し切って、という記事が・・・残念!

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