12/21/2015

アレクサンドル・ソクーロフの フランコフォニア/ ナチ占領下のルーブル

                                                                                                                          (by Alexandre Sokourov)
Francofonia, Le Louvre sous l'occupation d'Alexandre Sokourov

11月にロシアの監督アレクサンドル・ソクーロフの映画Francofoniaフランコフォニアが封切りされ、12月に入ってIllustre et Inconnuイリュストル・エ・アンコニュ=高名で無名(の人)と題されたフランス3チャンネルのテレビ・ドキュメンタリーが放送され、話題になりました。どちらも第二次大戦のナチのパリ占領下、空襲や略奪から守るために、ルーブルの作品を殆どそっくり隠し、終戦まで守り抜いたルーブル館長ジャック・ジョジャーの実話です。俳優が出る部分は少なく、ドキュメンタリー形式。

第二次世界大戦勃発の前年38年に、最悪を予測してジョジャーはすでに作品を疎開させる手順を考え、梱包を一部開始しています。翌1939年8月25日、開戦の10日前にはルーブルを閉館し、館職員、エコール・ド・ルーブルの学生、近くのサマリテーヌデパートの販売員達が協力し、3日間で4000点の作品を梱包し、まずロワール河のシャンボール城に一旦保管し、さらにそこからもっと名もない小さい城に分散しました。フランス北部の危険が増した時には、南部のピレネー山脈近くへと、保管場所を転々とし、折ったり畳んだりできない巨大な絵や彫刻を乗せたトラックが通れるよう、道々の村の人々が電線や木の枝を切ったり、保管所の城の火事には村総出で消火したり・・・これらの美術品はフランスだけでなく人類の宝だ、子孫に伝えるのが自分たちの使命だと、みんなが協力した様子は感動的です。ノルマンディーに上陸した英米軍にも、保管場所の近くで戦闘にならないように、場所が前もって通知されていたらしい。


ルーブルの作品が略奪されなかったのは、フランスの美術品の管理と保護の為に派遣されたドイツの将校フランツ・ヴォルフ・メッテルニッヒのお陰でもあります。彼は元ボンの美術大学の教授で貴族の称号を持ち、本当に芸術を愛する人だったのでしょうね、文字通り美術品の ″保護″ に専心します。ヒトラーは母国に壮大な自分の美術館を持つことを計画していたので、美術品をドイツに送りたかったのですが、戦争中の移動は作品にダメージを与えるとの理由で、終戦まで安全にフランスで保管することを主張しました。ヒトラーはもちろん勝つつもりだったので、勝ってからゆっくり運ぼうと思ったのでしょう。ユダヤ人から没収した大量の美術品は、ドイツに送られたり、堕落しているとヒトラーが嫌った現代美術は競売された中で、ルーブルの作品は、メッテルニッヒは頑として自国の軍人たちにも一切手を出させなかったのです。ジョジャーは初対面の日に、メッテルニッヒに美術品の隠し場所と目録を全部進んで渡しています。相手は占領軍なので、報告しないわけにはいかないからです。敵同士で、一度も心を開いて語り合うことなく、美術品を守るということで繋がっている彼とジョジャーの不思議な関係は、これだけをテーマに映画が作れそうです。なにしろこの2人がいなかったら、今日のルーブルは無いのですから。

フランコフォニアは、残念ながら詩的というか雰囲気を追う部分が多すぎてお話の内容が不鮮明になのが残念でした。テレビのイリュストル・エ・アンコニュの方は、その点もっとずっと明快で、もっと感動的。上記の情報も全部こちらから引用しています
Francofonia   Alexsandre Sokourov
Illustre et inconnu, Comment Jaques Jaujard a sauvé le Louvre    Youtubeで見られます(フランス語版)外国のテレビにぜひとも輸出してもらいたいドキュメンタリーです。

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